「深く潜ったら、戻ってこられなくなるんじゃないか」

この怖さは、物理としては半分当たっていると思います。5mmのスーツにウェイト4kgという条件で計算すると、境目は7.5mあたりです。体格とウェイトで動くので、あくまで一例の数字です。そこを越えると浮力がマイナスに転じます。そこから下で脚を止めれば、浮いてくるどころか沈んでいきます。戻れなくなる感じは、気のせいではありませんでした。

ただ、残りの半分は逆でした。浮上は進むほど楽になっていきます。縮んでいた気泡が膨らみ直して、浅くなるほど体を上へ押し上げてくれるからです。厄介なのはそこで、体がいちばん楽になっている場所、つまり水面まであと10mから先で、体の中はいちばん危険になっています。

怖さは消さなくて構わないと思います。変えるのは、警戒する場所のほうです。

  • 深さを怖がるのは、やめなくて構いません。 その感覚は正しく働いています。消すのではなく、向き先を変えるだけです
  • 警戒の重心を、水面直下と浮上直後に移してください。 酸素の落差がいちばん大きいのは、最後の10mです
  • 浮上してきた人から、30秒は目を離さないでください。 自分が浮上したときも、同じように見ていてもらってください

ここから下は、その根拠です。急ぐ日は、上の3つだけ持って海に行ってください。


正しい半分 — ある深さから下では、自力で上がることになります

まず、正しいほうの半分から確認します。

体を浮かせているのは筋肉でも脂肪でもなく、ウェットスーツに閉じ込められた気泡と、肺に入っている空気です。気体は水圧で縮むので、深く潜るほど浮力は小さくなります。そしてある深さを越えると、浮力よりも体とウェイトの重さが勝ち、正味の浮力がマイナスに転じます。

深度ごとの正味の浮力を示した折れ線グラフ。水面では正味プラス3.0kg相当で押し返されるが、深くなるにつれて浮力が減り、7.5mでゼロになる。それより深いところではマイナスに転じ、30mではマイナス2.25kg相当まで落ちる。
図: 5mmウェットスーツと肺の空気で水面の気体由来浮力を7.0kg相当、ウェイトを4.0kgとしてボイルの法則から計算した値です。実測ではなく、器材と体格で大きく動きます。

この条件では 7.5m あたりが境目になります。それより深いところで手足を止めれば、浮いてくるどころか沈んでいきます。「戻れなくなる」という不安は、この感覚を正確に捉えています。潜降のしくみは潜ろうとしても浮いてしまうのはなぜかに書きました。


逆の半分 — 浮上は、進むほど楽になります

ただ、同じ図を右から左に読むと、話が変わります。

浮上を始めれば圧力は下がり、縮んでいた気体は膨らみ直します。浮力は戻り、浅くなるほど体を上へ押し上げてくれます。つまり浮上でいちばん力が要るのは深いところで、水面に近づくほど楽になっていきます。

「深さに比例して脱出が難しくなる」というイメージは、ここで崩れます。体にかかる負担で言えば、浮上の後半はむしろ下り坂です。


危ないのは、体が楽になっている場所です

問題は、体の外側で起きていることと、体の内側で起きていることが逆方向に動く点にあります。

肺の中の酸素分圧(酸素がどれだけ濃い状態にあるかを示す値。同じ量の酸素でも、圧力が高いほど高くなる)は、周囲の圧力に比例します。深いところでは圧力が高いぶん、同じ量の酸素でも分圧は高く保たれます。ところが浮上して圧力が抜けると、分圧はそれに合わせて落ちていきます。

浮上によって肺の中の酸素分圧がどれだけ落ちるかを示した棒グラフ。体内の残り酸素が同じ場合、相対値で水深20mを3.0とすると、水深10mでは2.0へ33%低下し、水面では1.0へさらに50%低下する。落差が最も大きいのは最後の10m。
図: 絶対圧(1+深度/10)から BLUE BREATH が計算した相対値です。体内に残っている酸素の量が同じだとした場合の比較であり、実測の分圧ではありません。

水深20mから10mまでで33%、そこから水面までの最後の10mで50%。落差がいちばん大きいのは、いちばん浅いところです。

DANの解説も、意識を失うのは浮上の最終段階が最も多いとして、その理由を “the decline in relative pressure is greatest”(相対的な圧力の低下が最も大きい)と説明しています。

水面に着いてからも、しばらく危険が続きます

もうひとつ、直感に反することがあります。水面に顔を出して空気を吸えば、そこで安全になるわけではありません。

吸い直した空気の酸素が肺から血液に移り、脳に届くまでには時間がかかります。その数十秒のあいだ、体内の酸素はまだ底に近いままです。水面に出て、一言しゃべってから崩れるように意識を失う、という形が知られているのはこのためです。

ですので、浮上してきた人からは水面に出たあとも目を離さないでください。多くの教材が30秒程度の注視を求めています。ここでいうブラックアウトは低酸素で意識を失うこと、LMC(loss of motor control)は意識はあるのに体の制御が効かなくなる状態です。具体的な手順はブラックアウトとは? 潜水で気を失ったとき、隣の人がやることにまとめました。


恐怖の向き先を変えてください

ここまでをまとめると、こうなります。

体にかかる負担 体内の酸素
深いところ 重い(自力で上がる) 分圧は高く保たれる
浮上の後半 軽い(浮力が助ける) 急速に落ちる
水面直後 ほぼ無し まだ底に近い

恐怖が向きやすいのは表の左上ですが、実際に人が倒れているのは右下です。深さを怖がるのは自然な反応ですし、その感覚自体は大切にしてください。ただ、警戒の重心は水面直下と浮上直後に置くのが、仕組みに合っています。

そしてもうひとつ付け加えると、恐怖そのものは、この競技では計器のように使えるものです。むしろ危ないのは、恐怖が消えてしまう状態のほうで、潜る前に深呼吸を繰り返すと「息を吸いたい」という警報だけが消えます。仕組みは息を止める練習で、人はなぜ死ぬのかに書きました。


この記事で確認できなかったこと

  • ブラックアウトが起きた深度の分布。 「9割は水面で起きる」「99%は5mより浅い」といった数値が広く引用されていますが、その元になった調査・論文にはたどり着けませんでした。数字としては説得力がありますが、出典を確認できていないため、この記事では使っていません。本文で使ったのは、浮上の最終段階が最も危険だというDANの記述と、圧力から計算できる分圧の落差だけです。

  • 浮上直後に注視すべき秒数の根拠。 30秒という数字は複数の教材に共通して出てきますが、その秒数を裏づける研究の記載は見つけられませんでした。

  • 正味の浮力が釣り合う深度の実測値。 本文の7.5mは条件を決めて計算した値で、器材・体格・塩分濃度で動きます。指導団体が標準値を公表している例は見つかりませんでした。


次の一歩

怖さの向き先を変える、というのが、この記事でいちばん持ち帰ってほしいことです。具体的には3つです。

  1. 深さを怖がるのをやめる必要はありません。 その感覚は正しく働いています。変えるのは、警戒の重心を水面直下と浮上直後に移すことだけです
  2. 浮上したあと30秒は、隣の人から目を離さないでください。 自分が浮上したときも、相手に見ていてもらってください。倒れるのは、いちばん安心している場所です
  3. 深さを試す日は、見てくれる人と一緒に行ってください。 恐怖が消えた状態がいちばん危ないので、そこだけは自分の感覚が当てになりません

下の「近くの練習会を探す」で、見てくれる人がいる場所を都道府県から探せます。守ることは3つだけです(安全の約束(3つ))。この3つが揃っていれば、深さは怖がるものではなく、味わうものになります。