「ひとりで潜るな」は、フリーダイビングで最も繰り返される言葉だ。

だが標語のままでは人は死ぬ。バディが具体的に何を見て、何秒待って、何をするのかが決まっていないと、隣にいても助けられない。

この記事は、指導団体が公式教材に書いている手順と数値をそのまま日本語にする。**主な典拠は RAID の Open Water Freediver レスキューマニュアル(2023年12月版)**で、数値は原文から取っている。

まず、いちばん重要な事実

低酸素の兆候について、教材はこう書いている。

低酸素の外的兆候:無し! — ブラックアウトや低酸素けいれんの前に、何の兆候も無いことがある。

内的な自覚症状のリストも、同じく「無し! — 自分が低酸素であることに、まったく気づかないことがある」から始まる。

自覚に頼る安全管理は成立しない。 これがこの競技の設計思想を決めている。だからバディがいる。

LMC(低酸素けいれん)とブラックアウトは別物

LMC=運動制御の喪失

日本では「サンバ」とも呼ばれる。教材の定義はこうだ。

低酸素けいれんとは、脳への酸素不足によって起こる運動制御の喪失(Loss of Motor Control)である。程度は、ほとんど気づかないような手の震えから、全身のけいれんまで幅がある。

症状として挙がっているのは、震え、ぎくしゃくした頭の動き、体を制御できない、頭を水面上に保てない、うつろな目つき、反応の低下、混乱、ろれつが回らない・話せない。

通常は浮上直後に起こる。 そして、こう続く。

低酸素けいれんは通常、セーフティダイバーの介助があれば自然に収まる。介助が無ければ、ダイバーは溺れる危険がある。

ブラックアウト=意識の喪失

息こらえに関連する意識喪失はすべて、同じ基本的な原因を持つ——脳への酸素不足。意識を維持するのに必要な水準を酸素が下回ると、ブラックアウトが起こる。これは脳の酸素需要を減らすことで、重要な脳組織を守る体の仕組みである。

気絶は故障ではなく、防御反応だという理解が正確だ。ただし水中では、その防御がそのまま溺水につながる。

酸素分圧の閾値

教材は、肺胞内酸素分圧(PpO2)の目安を数値で示している。

PpO2 状態
0.21 正常
0.16 低酸素けいれん(LMC)
0.12 ブラックアウトの可能性が高い
0.10 意識を保てる最低値

正常の 0.21 から、意識の限界 0.10 まで。半分落ちるだけだ。

なぜ「浮上の最後の10m」が最も危ないのか

サーフェスブラックアウトは最も多いタイプだと教材は明記している。理由が4つ挙げられている。

  1. その時点で、体内の酸素は潜水中で最も少ない
  2. ボイルの法則により、最後の10mで気体の体積が2倍になる。 これは1回の潜水で最大かつ最も急激な圧力変化で、肺容積が増えるぶん酸素濃度が急落し、血液から肺へ酸素が拡散する
  3. 血中に溶けていた酸素も浮上中に膨張し、さらに拡散が進んで血中酸素分圧が下がる
  4. 頭が水面に出た瞬間に重力がかかり、脳の血圧が一時的に下がる

さらに5つ目として、リカバリーブレスを正しく行わないと、強制的な呼気がさらに血圧を下げ、酸素は入ってこないとある。

そして決定的な一文。

ボイルの法則の作用により、深いところでは十分な酸素が血中にあっても、浮上中の圧力変化によって、その水準が意識維持の閾値を下回るまで急激に落ちることがある。

「余裕があった」という感覚は、水深が変わった瞬間に無効になる。

45秒ルール

浮上したら安心、ではない。

水面に出てサーフェスプロトコルを済ませたあとでブラックアウトした競技ダイバーの事例は、数多くある。だからこそ、浮上後少なくとも45秒間はダイバーを注意深く監視することが重要である。

酸素が脳に届くまでには遅れがある。「OK」のサインを出した後こそ見る。

バディの手順

水面バディイング(水深10m以下)

教材の手順はこうだ。

  1. リラックス段階を手伝う。障害物がなく、快適な体勢か確認する
  2. ダイバーが潜り始めたら真上に移動し、潜水のあいだずっと見る。自分はスノーケルで呼吸しながら休んでおく(緊急時に動けるように)
  3. 浮上したら、片手を脇の下に、もう片方をラインやブイの上の手に添える
  4. 名前を呼びながらリカバリーブレスを声で導き、正しい呼吸を実演して見せる
  5. 完全に回復するまで監視を続ける

ここに、地味だが重要な指摘がある。

人の名前を使い、リカバリーブレスを実演して見せることは、意識を失いかけているダイバーが回復プロトコルをやり遂げ、低酸素事象を避ける助けになることが示されている。

回復後、ダイバーは OK サインを出して「I am OK」と言う。これが完了の合図だ。

深度バディイング(迎えに行く深さ)

セーフティダイバーが潜って迎える深さも決まっている。

  • 10m〜30m未満の潜水10mで合流する
  • 30m超の潜水目標深度の約1/3で合流する

例:20mの潜水なら10mで、40mの潜水なら約17mで合流し、そこから同期して浮上する。

タイミングの目安として、教材は**「ほとんどのダイバーは毎秒約1m進む」**という数字を挙げている。20mの潜水なら、浮上開始から10mに戻るまで約10秒、という計算になる。

救助手順:RESCUE → RESPONSE → REVIVE

深さに関係なく、ブラックアウトへの対応は同じだと教材は明記している。

① RESCUE(引き上げる)

ダイバーを水面に上げる。気道を水から出した状態で、水面にしっかり保持する。

② RESPONSE(反応を引き出す)

顔の器材を外す。目と頬に息を吹きかける。顔を軽く叩く。名前を使って、大声で呼吸するよう指示する。

これが「blow, tap, talk」と呼ばれる手順だ。マスクを外すのが先である点に注意。

③ REVIVE(蘇生)

30秒経っても反応が無ければ、人工呼吸を開始する。さらに1分経っても回復しなければ、助けを呼び、水から引き上げてCPRを開始する。

秒数が決まっているのは、その場で迷わないためだ。数えられる手順になっていることに意味がある。

LMCの場合

RESCUE — 水面に上げ、気道を水から出した状態で保持する。 RESPONSE — 顔の器材を外し、はっきりと力強く、回復呼吸を声で導く。

そして重要な事後対応。

低酸素けいれんの後、ダイバーのエネルギー備蓄は枯渇している。その日(24時間)は潜水を中止し、可能であれば5〜15分間、純酸素を呼吸すべきである。

「回復したからもう1本」は、最も危険な判断だ。

見るべきサイン

自分では気づけない以上、バディが見る。教材が挙げる外的兆候はこうだ。

  • 無し!(何も出ないことがある)
  • 動きが止まる
  • フィンキックやライン手繰りが遅い・弱い・不規則になる
  • 逆に急に速くなる
  • スタティック中に体が動く
  • 急に空気を吐く
  • 焦点の合わない目
  • スタティック中に呼びかけへ反応しない
  • チアノーゼ(唇が青い)
  • いつもと違う、何か

そして行動指針。

これらの兆候に気づいたら、低酸素けいれんやブラックアウトを待つより、行動したほうがよい

不機嫌なダイバーのほうが、意識のないダイバーよりましだ。

この一文が、バディの判断基準として最も実用的だと思う。「気のせいだったら悪いから」で待たない。

自覚症状(あてにはならないが、知っておく)

  • 無し!
  • 体(多くはまず手)のしびれ
  • 視野が狭くなる
  • 体や顔の熱感
  • 耳鳴り
  • ふらつき、めまい
  • 潜水が急に楽に感じる

最後の項目が怖い。「今日は調子がいい」は、低酸素の症状であることがある。

事故を避ける4つの原則

教材が挙げるリスク管理は、拍子抜けするほど単純だ。

  1. 過換気をしない。 ハイパーベンチレーションは多くのブラックアウトの主因である
  2. 資格を持つバディなしに潜らない。 ブラックアウトとLMCは急に、予期せず起こる。訓練されたバディの有無が、怖い経験と悲劇の分かれ目になる
  3. 段階的に進める。 体は自分のペースで適応する。無理に押すと肺や気管の損傷、そして低酸素につながる。攻撃的なアプローチは、自己破壊的で危険である
  4. 正しいウエイト量。 潜水の終わりに、体の余力は最も少ない

この記事で確認できなかったこと

  • 「blow, tap, talk」の tap を外す議論 … 2025年ごろから、頬を叩く動作のリスクについて再検討する議論が業界内にあるとされるが、AIDA等の主要団体が指針を改定した事実を一次資料で確認できなかった。本記事は現行のRAID公式教材の記述に従っている
  • AIDAの公式レスキュープロトコル原文 … AIDA公式サイトの該当文書を参照できず、AIDA版の秒数規定を確認できていない。本記事の秒数はRAID教材のもの
  • PpO2閾値の出典 … RAID教材が示す 0.21/0.16/0.12/0.10 の数値について、教材内に原典となる研究の記載を確認できなかった
  • 日本国内のフリーダイビング事故統計 … 海上保安庁等による素潜り事故の統計はあるが、フリーダイビング(訓練を伴う潜水)とレジャーの素潜りを区別した集計を確認できなかった
  • 救助後の医療対応 … 溺水後の肺障害(二次性溺水を含む)の管理については本記事の範囲外。医療機関の判断に従うこと

本記事は指導団体の公開教材および査読論文に基づく情報提供であり、医学的助言でも講習の代替でもありません。救助手順は実技訓練を経て初めて機能します。必ず有資格のインストラクターのもとで学んでください。