息止めの練習で亡くなる方は、苦しさに耐えかねて力尽きるのではありません。 そこが、この事故のいちばん理解しにくいところです。本人は最後まで、それほど苦しくありません。苦しくないまま、意識だけが消えます。

仕組みが分かれば、なぜ「ひとりでやるな」がここまで繰り返されるのかも見えてきます。この記事は、これから素潜りや息止めを始める方に向けて、その仕組みだけを説明します。

先に、今日から変えることだけを書きます。持ち帰りは3つです。

  • 潜る前の深呼吸を、やめてください。 長く止められるようになるのではなく、危険を知らせる警報だけが消えます
  • 水の中で息を止めるときは、見ている人を1人つけてください。 陸の上で座って測るぶんには、ひとりでも構いません
  • 「もう少しいけそう」で伸ばさないでください。 その「いけそう」という感覚こそが、いちばん先に壊れるものです

ここから下は、その根拠です。急ぐ日は、上の3つだけ持って海に行ってください。


「息を吸いたい」は、酸素の不足ではありません

まず、ほとんどの人が誤解しているところから始めます。

息を止めていると苦しくなりますが、あの感覚は酸素が足りなくなったから起きているのではありません。体が見張っているのは、二酸化炭素のほうです。呼吸を止めると二酸化炭素が溜まっていき、ある濃度を超えたところで「息を吸え」という強い指令が出ます。横隔膜がぴくぴくと動き出すのも、この指令によるものです。

つまり体は、酸素センサーではなく二酸化炭素センサーで呼吸を管理しています。ふだんは、これで何も問題がありません。二酸化炭素が溜まる速さと酸素が減る速さは、だいたい連動しているからです。警報として、じゅうぶんに機能しています。

問題は、この連動を人の手で切り離せてしまうところにあります。


深呼吸を繰り返すと、警報だけが消えます

潜る前に大きく速い呼吸を何度も繰り返すこと、これをハイパーベンチレーション(過換気)といいます。やったことがある方は多いと思います。「たくさん吸っておけば長く潜れる」という直感は、ごく自然なものです。

ただ、実際に起きることは違います。

過換気の前後で体の中がどう変わるかを示した図。通常の呼吸では二酸化炭素が基準まで溜まった時点で「息を吸いたい」という警報が鳴り、酸素にはまだ余裕がある。過換気のあとは二酸化炭素が低い値から始まるため警報が鳴るのが遅れ、その間も酸素は同じように減り続け、警報が鳴る前に意識を失う水準に達してしまう。
図: DAN・SSI が公開している安全教材の記述をもとに BLUE BREATH が作図した概念図。縦軸の目盛りは仕組みを示すためのもので、個人の実測値ではありません。

二酸化炭素は吹き飛ばせますが、酸素はほとんど増やせません。血液に溶けている酸素は、ふつうに呼吸しているだけで既にほぼ満杯まで積まれています。深呼吸を10回繰り返しても、積める量はほとんど変わりません。一方で二酸化炭素は、吐く息と一緒にどんどん出ていきます。

結果として、スタート地点の二酸化炭素だけが低い状態で潜ることになります。

  • 「息を吸いたい」という警報が鳴るのが、大幅に遅れる
  • しかし酸素が減っていく速さは、まったく変わらない

つまり、警報を切ったまま走り続けている状態です。長く潜れるようになったのではなく、危険を知らせる仕組みだけを止めてしまったことになります。

「余裕がある」と感じるときが、いちばん危険です

この状態のたちの悪さは、感覚が完全に裏切るところにあります。

苦しくありませんし、まだいける気がします。実際、本人の主観としては余裕があります。ところが酸素のほうは、警報が鳴らないまま、脳が働けない水準まで落ちていきます。

そして酸素が足りなくなると、脳は真っ先に意識を切ります。省エネのための、体としては合理的な反応です。心臓は動いていますし、呼吸を再開できれば助かります。ただ、その判断をする本人が、もういません。


水中では、意識を失った時点で終わりになります

陸の上で座って測っているぶんには、これはまだ致命的になりません。意識が飛べば倒れますし、倒れれば呼吸が戻ります。頭を打たない場所であれば、たいていは何事もなく回復します。

水中は違います。

意識を失った本人にできることは、何ひとつ残っていません。浮上することも、助けを呼ぶことも、口を閉じておくこともできません。水深が浅いか深いかも関係がなく、足のつくプールでも、浴槽でも同じことが起きます。

そして周りから見て、意識を失った瞬間は分かりにくいものです。もがいたり暴れたりしないからです。静かに沈むか、静かに浮いています。近くにいた人が「気持ちよさそうに潜っているな」と思って見過ごした、という事例が繰り返し報告されています。騒がないので気づかれません。これが、この事故が「静かに終わる」と言われる理由です。

見ている人がいれば、多くは助かります

裏返せば、そこが唯一の分岐点でもあります。

意識を失っても、すぐに水面に上げて呼吸を再開させられれば、後遺症なく回復することが多いとされています。必要なのは高度な医療ではなく、その場で見ていた誰かです。

だから世界中の指導団体が、技術の話より先に同じことを言います。「ひとりで潜るな」「バディ(一緒に潜り、互いを水面から見張り合う相手)を水面で待たせろ」「目を離すな」。根性論ではなく、この仕組みから来ている指示です。

ここでいうブラックアウトは低酸素で意識を失うこと、LMC(loss of motor control)は意識はあるのに体の制御が効かなくなる状態を指します。具体的な救助の手順はブラックアウトとは? 潜水で気を失ったとき、隣の人がやることに書きました。


やってはいけないこと

仕組みから導かれる禁止事項を、短く並べておきます。

潜る前に深呼吸を繰り返さない。 過換気はブラックアウトの主要な要因として、DANとSSIが名指ししています。潜る前は、むしろ静かに呼吸を整えてください。

ひとりで水中の息止めをしない。 浴槽・プール・海のすべてを含みます。「浅いから」「短いから」は理由になりません。

「もう少しいけそう」で伸ばさない。 その「いけそう」という感覚こそが、過換気で壊れている当のものだからです。

他人と競わない。 息止めの秒数を競う遊びは、全員が同時に警報を切りにいく行為になります。

記録の更新を目的にしない。 潜水は、限界の半分以下で行動するのが基本です。伸ばした記録は余裕を増やすためのもので、使い切るためのものではありません。


この記事で確認できなかったこと

  • 日本国内で、息止めの練習中の事故が年に何件起きているか。 これは数えられていません。海上保安庁の統計には、そもそもスキンダイビングという活動区分が存在しないためです。詳しくは素潜りの事故は年に何件? 海上保安庁のデータで分かることに書きました。件数を示せないのは資料が無いためで、少ないからではありません。

  • 過換気で二酸化炭素がどれだけ下がると、どれだけ危険が増すかの定量的な関係。教材はいずれも「危険である」ことを明示していますが、具体的な数値の閾値を示した一次資料には当たれていません。本文の図は仕組みを示す概念図であって、実測値のグラフではありません。

  • 前触れの出現率。 視野狭窄やけいれんといった前触れが、何割の事例で自覚されるのかを示した統計は見つけられませんでした。「前触れがあるとは限らない」以上のことは書けません。


息を止めること自体は、危険な行為ではありません。いま座って読んでいるあなたも、あと数十秒は問題なく止められます。

危険なのは、警報を切ることと、見ている人がいないことの組み合わせです。この2つを外せば、この競技は驚くほど安全になります。

自分が何秒止められるのかを陸の上で安全に測ってみたい方は、息は何分止められるのが普通なのかにタイマーを置いてあります。


次の一歩

仕組みが分かったところで、今日から変えられることが3つあります。

  1. 潜る前の深呼吸を、やめてください。 「たくさん吸っておけば長く潜れる」という直感が、この事故の入口です。やめるだけで、いちばん大きなリスクが1つ消えます
  2. ひとりで息を止める練習を、水の中でしないでください。 浴槽もプールも海も同じです。陸の上で座って測るぶんには危険はありません(息こらえタイマーを置いてあります)
  3. 見てくれる人がいる場所を、1つ見つけてください。 下の「近くの練習会を探す」で都道府県を選べます。0件の県でも、探し方が出るようにしてあります

海で守ることは、結局この3つだけです(安全の約束(3つ))。ここさえ外さなければ、海は驚くほど安全で、楽しい場所です。