フリーダイビングを始めた人が最初にぶつかる壁は、たいてい息こらえではない。耳だ。
「5mまでは行けるのに、そこから痛くて進めない」——これは肺活量の問題でも根性の問題でもなく、技術の問題であり、しかも方法を変えると解けることが多い。
この記事は、圧力チャンバーで耳管の動きを実測した研究をもとに、なぜバルサルバが深いところで効かなくなるのかを説明する。
結論:バルサルバをやめる
バルサルバとは何をしているか
鼻をつまんで、肺から空気を押し上げる方法。DANの説明はこうだ。
鼻をつまむ(またはマスクのスカートに押し当てて塞ぐ)、そして鼻から息を吹く。
スキューバでは長く標準とされてきた。タンクがあるので、肺の空気は無尽蔵にあるからだ。
なぜフリーダイビングでは行き詰まるのか
フリーダイビングでは、肺の空気が有限であるどころか、深度とともに縮んでいく。
水圧で肺は圧縮される。深くなるほど、耳へ送り出せる空気が減る。水深30m前後では、耳や副鼻腔の圧を合わせるだけの空気が肺に残らない、と説明される。
つまりバルサルバは、構造的に深度の上限を持つ方法だ。
フレンツェルは舌をピストンにする
対してフレンツェル法は、すでに口腔と喉にある空気を舌で押し出す。肺の空気を一切使わない。
DANの説明はこうだ。
鼻を閉じ、重いものを持ち上げようとするときのように喉の奥を閉じる。そして「K」の音を出す。
この「K」の感覚が要点だ。舌の後ろが上に持ち上がり、口の中の空気が耳管へ押し出される。
実測データ:フレンツェルは本当に効くのか
ここが、この記事で一次資料に当たった部分だ。
Wolberらは、**経験のあるアプネアダイバー11名(女性3名・平均52.6±8.4歳、計22耳)**を減圧・加圧チャンバーに入れ、鼓膜のインピーダンス測定によって耳管の開放を直接計測した。
方法:1.0barから0.8barへの減圧(60秒)、および1.2barへの加圧(120秒)という標準化されたプロファイルで、3つの手法を比較。
フレンツェル法の測定値:
| 指標 | 値 |
|---|---|
| 耳管開放圧(ETOP) | 22.7 ± 33.7 mbar(中央値13) |
| 耳管開放時間(ETOD) | 2.0 ± 1.6 秒(中央値1.8) |
| 耳管開放頻度(ETOF) | 5.9 ± 5 回/分(中央値4.5) |
バルサルバ法と比べると、バルサルバのほうが開放圧は高く、開放時間は長い(いずれも p<0.001)。トインビー法では開放圧が低かった。
そして結論はこうだ。
フレンツェル法は、耳管の開放に関してバルサルバ法と少なくとも同等に有効であることが示された。フレンツェル法の知識が潜水中の圧平衡を容易にする可能性があると考えられ、アプネア・スキューバ双方の教育において適切な耳抜きトレーニングの導入を推奨する。
「バルサルバのほうが強く開く」のは事実だが、「フレンツェルでも十分開く」のも事実であり、そのうえでフレンツェルは肺の空気を使わない。フリーダイビングでどちらを選ぶべきかは、これで決まる。
⚠️ ただし限界も書いておく。被験者は11名と少なく、すでに経験のあるダイバーである。「初心者がフレンツェルを習得するとどれだけ深く行けるようになるか」を示した研究ではない。
DANが挙げる6つの方法
耳抜きはひとつではない。DANが示す手法を、原文の説明ごと並べる。
| 手法 | やり方 |
|---|---|
| バルサルバ | 鼻をつまみ、鼻から息を吹く |
| パッシブ | 通常は浮上時に自然に起こる |
| 随意耳管開放 | 軟口蓋と喉の筋肉を緊張させ、あくびを始めるように顎を前下方へ押し出す |
| トインビー | 鼻をつまんだまま、つばを飲み込む |
| フレンツェル | 鼻を閉じ、重い物を持ち上げるように喉の奥を閉じ、「K」の音を出す |
| ロウリー | バルサルバとトインビーの組み合わせ。鼻を閉じて、吹くと同時に飲み込む |
| エドモンズ | 軟口蓋と喉を緊張させ顎を前下方に出しながら、バルサルバを行う |
※DANのガイドは6手法として紹介しているが、本文中には上記7つの記述がある。
初心者がまず身につけるべきはフレンツェル、というのが多くの指導現場の合意だ。そのうえで、抜けにくい日に随意耳管開放やトインビーを併用する、という順番になる。
潜る前にやること
陸上で練習する
フレンツェルは水中で覚えるより、陸で覚えるほうが速い。
鼻をつまんで「K」の音を出し、耳がポンと鳴るか確認する。肺から息を吹いていないことを確かめるには、口を閉じたまま、胸が動かない状態でできるかを見る。
潜る前と、潜り始めた瞬間から
圧力は水深10mごとに1気圧増える。だが体積の変化が最も大きいのは水面から10mまでだ。
つまり最初の数メートルこそ、最もこまめに抜く必要がある。「痛くなってから抜く」では遅い。痛みが出る前に、先回りして抜き続ける。
頭を下げすぎない
潜降姿勢で頭を強く下げると耳管が通りにくくなる。抜けないときは、首の角度を変える、抜けないほうの耳を上に向ける、といった対処が講習で教えられる。
痛みを我慢しない
これは技術論ではなく、安全の話だ。
圧を合わせないまま潜降すると、圧力差で鼓膜が引き伸ばされ、損傷する。鋭い痛み、聞こえのこもり、重症なら鼓膜の破裂に至る。
そして水中での鼓膜破裂は、冷たい水が中耳に入ることで激しい回転性めまいを起こす。水中で上下が分からなくなる状態が、どれだけ危険かは説明するまでもない。
抜けなければ、その潜水はやめる。 深度は次の機会に取り返せる。鼓膜は数か月かかる。
この記事で確認できなかったこと
- マウスフィル(mouthfill)の技法 … 深度40m超で使われる、口腔に空気を溜めてから潜降する上級技法。査読論文で有効性や安全性を扱った一次資料を確認できず、本記事では扱わなかった。独学で試すべき技法ではない
- 初心者がフレンツェルを習得する期間 … 「◯週間で身につく」という一般的な数値の根拠を確認できなかった
- バルサルバが効かなくなる正確な深度 … 「30m前後」という説明は指導団体系の解説に基づくもので、査読論文で個人差を含めて検証した資料は確認できなかった
- 左右差の原因の疫学 … 片側だけ抜けない現象の頻度や原因の内訳を示す資料を確認できなかった
- 点鼻薬使用の是非 … 潜水前の血管収縮薬使用については医学的な議論があり、本記事では「使わずに済む状態で潜る」以上の判断を示していない
本記事は査読論文およびDAN・指導団体の公開資料に基づく情報提供であり、医学的助言ではありません。耳抜きの技法は必ず有資格のインストラクターの指導下で習得してください。耳の症状が続く場合は耳鼻咽喉科を受診してください。
